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照ノ富士春雄の現在は?2026年の断髪式と引退理由、序二段からの復活劇を徹底解説

藤沢 奈緒 藤沢 奈緒 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
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2026年現在、元第73代横綱・照ノ富士春雄は、年寄・伊勢ヶ濱春雄として後進の育成に取り組んでいます。2025年1月に現役を引退し、2026年1月31日には東京・両国国技館で引退相撲と断髪式を開催。長男とともに最後の横綱土俵入りを披露し、14年間にわたる力士人生に区切りをつけました。

照ノ富士の相撲人生は、決して順風満帆ではありませんでした。大関昇進後、両膝の重傷や糖尿病などの病気に苦しみ、2019年には序二段まで陥落。それでも土俵に戻り、大関復帰、横綱昇進、幕内優勝10回という偉業を成し遂げています。なぜ引退を決断したのか、現在はどのような立場で相撲界に関わっているのか。日本相撲協会の公式プロフィール、本人の引退会見、報道各社の取材内容をもとに、その軌跡を整理します。

【2026年最新】照ノ富士は現在、伊勢ヶ濱親方として何をしている?

照ノ富士春雄

2026年10月現在、照ノ富士は年寄・伊勢ヶ濱春雄として相撲界に身を置いています。日本相撲協会の年寄プロフィールにも、年寄名履歴として「照ノ富士 春雄→伊勢ヶ濱 春雄」と記載されています。現役時代の四股名で知られる人物ですが、現在は親方として力士を育てる立場です。

2025年1月17日の引退会見で、照ノ富士は現役引退と後進の指導に当たる意向を表明しました。さらに同年6月には年寄・伊勢ヶ濱を襲名。現役時代に自身を指導した師匠のもとで経験を積んだ力士が、今度は指導者として次の世代を支える段階に入りました。

親方としての目標について、照ノ富士は引退会見で「自分に嘘をつかない、自分を曲げない力士を育てたい。その力士は必ず強くなる」という趣旨の抱負を語っています。単に勝ち方を教えるだけでなく、苦境でも自分の信念を保つ姿勢を重視している点は、自身の波乱に満ちた競技人生とも重なります。

2026年1月31日、最後の横綱土俵入りと断髪式

引退後の節目となったのが、2026年1月31日に両国国技館で行われた「照ノ富士引退伊勢ヶ濱襲名披露大相撲」です。現役時代のまげを切り落とす断髪式に先立ち、照ノ富士は最後の横綱土俵入りを披露しました。

この土俵入りでは、露払いを大の里、太刀持ちを豊昇龍が務め、長男の照務甚(てむじん)くんも一緒に土俵に上がりました。現役の両横綱と愛息に囲まれた姿は、横綱として歩んだ年月と、次の世代へつながる未来を象徴する場面となりました。

断髪式では、元横綱の花田虎上や白鵬翔をはじめ、スポーツ界や芸能界など各界の関係者を含む約330人がはさみを入れました。最後の止めばさみを入れたのは、入門時から縁のある師匠、元横綱旭富士の宮城野親方です。

断髪式後、照ノ富士は「次の世代を育て、相撲界に恩返しできるよう、一層精進いたします」という趣旨の決意を表明しました。日本相撲協会の公式チャンネルでも当日の様子が公開され、現役力士としての最後の姿から、親方として新たな責任を担う姿へと移る節目が記録されています。

【経歴・年表】第73代横綱・照ノ富士のプロフィールと主な実績

照ノ富士春雄は、1991年11月29日生まれ、モンゴルのウランバートル出身です。本名は杉野森正山(すぎのもり・せいざん)。帰化前の名前はガントルガ・ガンエルデネで、身長192センチ、体重176キロという恵まれた体格を生かし、右四つからの寄りを得意としていました。

日本相撲協会の公式プロフィールによると、生涯戦歴は523勝275敗231休、82場所。幕内優勝は10回に達しています。2015年に大関へ昇進し、いったん序二段まで番付を落としながら、2021年に第73代横綱へ昇進した経歴は、相撲史の中でも異例のものです。

時期 出来事 主な意味・実績
1991年11月 モンゴル・ウランバートルで誕生 本名は帰化後、杉野森正山
2011年5月 初土俵 間垣部屋で「若三勝」の四股名を名乗る
2013年 伊勢ヶ濱部屋へ移籍 「照ノ富士」に改名
2015年5月 幕内初優勝 大関昇進へとつながる活躍
2015年7月 大関昇進 将来の横綱候補として注目される
2017年9月 大関から陥落 けがや病気の影響で成績が低迷
2019年3月 序二段で土俵復帰 関取経験者として異例の再出発
2019年11月 幕下優勝 関取復帰への足掛かりをつかむ
2021年3月 大関復帰 序二段から再び大関へ昇進
2021年9月 第73代横綱に昇進 復活劇が横綱昇進という形で結実
2025年1月17日 現役引退を発表 年寄として後進の指導へ
2025年6月 伊勢ヶ濱を襲名 親方として新たな役割を担う
2026年1月31日 引退相撲・断髪式 最後の横綱土俵入りと断髪式を実施

日本相撲協会の公式記録では、横綱在位は2021年9月場所から2025年1月場所まで。幕内優勝10回に加え、十両優勝2回、幕下優勝1回を記録しています。表彰歴は殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞3回です。

これらの数字を読み解く際に注目したいのは、勝利数だけでなく休場数の多さです。生涯戦歴の231休、幕内戦歴の197休は、長期にわたる故障との闘いを物語っています。照ノ富士の評価は、単純な勝率だけでは測れません。休場を余儀なくされながら、再び番付を上げ、横綱として優勝を重ねた点に、その競技人生の特異性があります。

【陥落の理由】大関から序二段へ転落したけがと病気の実情

照ノ富士が大関から序二段まで番付を落とした背景には、膝の故障だけでは説明できない複数の健康問題がありました。大関昇進後に膝を痛め、手術を受けても十分な回復が得られず、さらに病気が重なったことで、従来のような力を発揮することが難しくなっていきました。

膝の手術に加え、糖尿病や肝炎などが重なる

相撲専門誌『Number』や『文藝春秋』の取材記事では、照ノ富士本人が当時の苦境を振り返り、膝のけがに加えて糖尿病、C型肝炎、腎臓結石を患ったことを語っています。筋力を維持するために鍛えても、疲労が蓄積し、思うように体が動かない。単なる技術の不調ではなく、競技を続けるための身体的な土台そのものが揺らいでいました。

大関から陥落した後も休場を重ね、2019年3月場所には序二段48枚目まで番付が下がりました。かつて幕内最高優勝を果たし、大関として横綱昇進を期待された力士が、関取の地位から遠く離れた場所で再出発を迫られたのです。

当時は引退を考えたこともあったと、照ノ富士は過去の取材で明かしています。師匠に何度も引退したいと伝えたものの、まず病気を治すよう促されたというエピソードも報じられています。再起の前提は、相撲の技術を磨くこと以上に、健康状態を立て直すことでした。

休場は怠慢ではなく、競技を続けるための選択でもあった

照ノ富士の経歴を振り返る際、休場の多さだけを取り上げて評価するのは適切ではありません。膝の故障や病気が重なった時期には、治療や回復に時間を費やす必要がありました。本人の過去の証言からも、身体的な問題が成績低迷に深く関係していたことが分かります。

2024年5月場所でも、初日に出場した後、左肋軟骨の損傷と右変形性膝関節症により休場しました。師匠は膝に加えて脇にも強い痛みがあり、せきをするだけでも痛む状態だったと説明しています。横綱審議委員会も当時、出場しようとした責任感を評価し、回復過程を見守る姿勢を示していました。

こうした経緯を踏まえると、照ノ富士の休場は単に成績を守るための判断ではなく、故障を抱えながら横綱として土俵に立ち続けることの難しさを示す出来事でした。後の引退決断も、この長年の蓄積と切り離して理解することはできません。

【奇跡の復活】序二段から大関復帰、横綱昇進、優勝10回まで

照ノ富士の名を相撲史に刻んだ最大の理由は、序二段からの再起です。2019年3月場所で序二段から土俵に戻ると、同年11月場所で幕下優勝を果たし、2020年には十両へ復帰。さらに幕内へ戻り、2021年3月場所後には大関への復帰を決めました。

大関から序二段まで陥落した後、再び大関に戻った力士は照ノ富士が史上初とされています。単に番付を回復しただけではありません。休場によって失った実戦感覚を取り戻し、下位の番付から一つずつ勝ち上がる過程で、相撲への向き合い方も変化していきました。

「相撲人生を2回楽しんだ」という言葉の意味

照ノ富士は2019年末の取材で、自身の再起を「相撲人生を2回楽しんでいる」という趣旨の言葉で表現しています。新十両になった時や番付が上がっていく時の喜びを、序二段からの再出発でも味わっているという考え方です。

この言葉が示すのは、過去の実績や地位に固執するのではなく、目の前の一番を積み重ねる姿勢です。大関経験者にとって序二段からの再出発は、プライドとの葛藤も避けられません。しかし照ノ富士は、番付の低下を終わりと捉えるのではなく、再び上を目指す機会として受け止めました。

2021年の横綱昇進と、幕内優勝10回の達成

大関復帰後も照ノ富士は結果を残し、2021年7月場所後に横綱昇進が決定。9月場所から第73代横綱として土俵に立ちました。序二段からの復活を経て横綱へ昇進するまでの歩みは、当時の相撲界でも大きな話題となりました。

日本相撲協会の記録によると、幕内優勝は通算10回。横綱昇進後も優勝を重ね、2023年以降も故障と復帰を繰り返しながら土俵に立ち続けました。特に2021年5月場所の優勝は、大関復帰から横綱昇進へとつながる重要な実績でした。

2023年夏場所では、3場所連続で全休した後の復帰場所で13日目までに優勝を決め、最終的に14勝1敗で優勝しました。長期休場明けの横綱が復帰場所で優勝するという、極めて難しい復活劇です。本人は優勝インタビューで、手術後の日々を無駄にしないよう過ごしてきた思いを語っています。

一方、10回という優勝回数だけで、現役後半の苦しさが見えなくなるわけではありません。膝の状態は完全に安定したわけではなく、休場を繰り返しながら横綱の責任を果たそうとする日々が続きました。優勝実績と休場の多さは矛盾するものではなく、照ノ富士の強さと身体的な限界が同時に存在していたことを示しています。

【引退理由の真相】2025年1月、照ノ富士はなぜ土俵を去ったのか

照ノ富士は2025年1月場所中に現役引退を決断し、同月17日に正式に発表しました。引退理由として本人が説明したのは、けがや病気によって思いどおりの相撲が取れなくなり、中途半端な気持ちと体で土俵に立つべきではないと判断したことです。

日本相撲協会公式チャンネルで公開された引退会見や、TBS NEWS DIG、スポーツ紙各社の報道によると、照ノ富士は「これ以上、中途半端な気持ちと体で土俵に上がれないと思い、決断した」という趣旨の説明をしています。長く休場してきた横綱が、再び出場しても本来の相撲を取れないと感じたことが、決断の核心でした。

引退は突然の決断ではなかった

2025年1月場所の照ノ富士は、3場所ぶりの復帰を目指して土俵に上がりました。しかし初日に敗れ、本人はその日のうちに師匠へ、もう一度負けたら引退したいという考えを伝えたと報じられています。その後も思うような相撲を取れず、右膝や腰の痛みを理由に休場。場所中の引退発表に至りました。

横綱には、単に番付上の地位を維持するだけでなく、最高位にふさわしい相撲を取ることが大切です。照ノ富士の場合、過去に大関から序二段まで落ち、そこから横綱へ戻るという大きな復活を遂げたからこそ、最後まで自身の相撲に対する基準を下げたくなかったという見方もできます。本人の会見での言葉は、その責任感を端的に表していました。

引退勧告が原因だったのか?

引退をめぐっては、横綱として休場が続いたことから、周囲の圧力が原因だったのではないかと考える人もいる可能性があります。しかし、本人が会見で説明したのは、身体の状態と相撲への向き合い方を踏まえた自らの決断です。

また、2024年5月場所の休場後、横綱審議委員会の委員長は、出場しようとした姿勢や責任感を評価し、当時の状況は引退勧告に当たらないとの考えを示していました。少なくとも、引退を単純に外部からの勧告だけで説明することはできません。

師匠の伊勢ヶ濱親方も、序二段まで落ちたところから横綱に昇進したことを振り返り、「横綱になったこと自体が奇跡に近い」という趣旨で称賛しました。照ノ富士の引退は、実績が足りなかったからではなく、長年の故障を抱えながら競技人生を全うし、本人が納得できる形で区切りをつけるための決断だったのです。

【妻・子供・引退後の評判】伊勢ヶ濱親方はどんな指導者を目指すのか

照ノ富士は2018年2月、大関昇進前から交際していたモンゴル出身の女性と結婚しました。2021年2月には富岡八幡宮で結婚式を挙げています。家族に関する話題は現役時代から多く語られてきたわけではありませんが、2026年1月の引退相撲では、妻と長男が節目の場に姿を見せました。

長男・照務甚くんの名前に込められた由来

2022年11月には第1子となる長男が誕生しました。名前は照務甚(てむじん)。モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハンの本名にちなんで名付けられたと報じられています。

2023年の復帰優勝をめぐっては、長男の誕生が力になったのかという質問も出ました。照ノ富士は、子供が生まれたから頑張れるのであれば、その前から頑張るべきだったという趣旨の返答をしています。家族を大切にしながらも、土俵に立つ理由を家族の存在だけに求めず、横綱としての責任や自身の目標を重視していた姿勢がうかがえます。

2026年1月31日の引退相撲では、長男が最後の横綱土俵入りに参加し、断髪式の後には花束を渡しました。妻からも花束を受け取っており、競技人生を支えた家族とともに、現役時代の最後を迎えたことが報じられています。

引退後の評判は?指導者として期待されること

照ノ富士の引退後の評価を考えるうえで重要なのは、現役時代の成績だけでなく、困難を経験した力士としての指導力です。大関から序二段へ落ちた後、再び横綱に昇進した経験は、けがや成績不振に苦しむ力士にとって、具体的な再起の事例となります。

2026年1月の引退相撲では、現役横綱の大の里が、巡業中に照ノ富士からアドバイスを受けたことに触れ、今後も自分自身が頑張りたいという趣旨の感想を述べています。こうした発言は、照ノ富士が現役時代から後輩に助言をする立場でもあったことを示しています。

また、断髪式の最後に師匠の宮城野親方から、これまでの苦労をねぎらわれ、今度は自分が弟子に経験を伝え、強い力士を育ててほしいという趣旨の言葉をかけられたことも報じられました。照ノ富士自身が掲げる「自分に嘘をつかない、自分を曲げない力士を育てたい」という目標は、こうした経験の延長線上にあります。

指導者としての真価は、これから育つ力士の成績や成長によって評価されていきます。現役時代の実績がそのまま指導者としての成功を保証するわけではありません。一方、病気やけがによる長期低迷、番付の急落、再起、横綱昇進という一連の経験は、技術面だけでなく、体調管理や精神面の支え方を考えるうえでも貴重な財産になるはずです。

【照ノ富士春雄】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:照ノ富士は2026年現在、何をしていますか?
A1:年寄・伊勢ヶ濱春雄として相撲界に残り、後進の指導に携わっています。2025年1月に現役を引退し、同年6月に伊勢ヶ濱を襲名しました。

Q2:照ノ富士の引退理由は何ですか?
A2:長年の膝の故障や病気、休場の繰り返しにより、思いどおりの相撲を取ることが難しくなったためです。2025年1月の引退会見では、中途半端な気持ちと体で土俵に立つべきではないと考え、決断したという趣旨を説明しています。

Q3:照ノ富士の幕内優勝回数と生涯戦歴は?
A3:幕内優勝は10回です。日本相撲協会の公式プロフィールによると、生涯戦歴は523勝275敗231休(82場所)、幕内戦歴は366勝207敗197休(52場所)です。

Q4:照ノ富士の引退相撲・断髪式はいつ行われましたか?
A4:2026年1月31日に両国国技館で開催されました。最後の横綱土俵入りでは長男とともに土俵に上がり、露払いを大の里、太刀持ちを豊昇龍が務めました。断髪式には約330人が参加し、最後は師匠の宮城野親方が止めばさみを入れました。

Q5:照ノ富士の本名と長男の名前は?
A5:本名は杉野森正山(すぎのもり・せいざん)です。2022年11月に生まれた長男は、照務甚(てむじん)と名付けられています。

照ノ富士春雄の相撲人生を振り返ると、最も大きな特徴は、序二段まで陥落した後に大関へ復帰し、さらに第73代横綱として幕内優勝10回を記録したことです。生涯戦歴523勝275敗231休という数字には、勝利の積み重ねだけでなく、長期休場や病気、けがとの闘いも刻まれています。

2025年1月の引退は、長年の故障を抱えながら土俵に立ち続けてきた横綱が、自身の身体と相撲への責任を考えたうえで下した決断でした。そして2026年1月31日の引退相撲と断髪式によって、力士としての歩みに正式な区切りがつきました。

照ノ富士を評価する際に大切なのは、優勝回数や番付だけで判断しないことです。序二段からの再起、横綱としての責任、休場を繰り返す苦しさ、そして引退後に次世代を育てるという新たな目標までを一続きの物語として見ることで、その実績の意味がより明確になります。

これから注目されるのは、伊勢ヶ濱親方としてどのような力士を育て、相撲界にどのような影響を残すかという点です。現役時代に自ら体験した挫折と復活の経験を、次の世代の指導にどう生かしていくのか。照ノ富士の相撲人生は、引退によって終わったのではなく、指導者として新たな段階へ進んでいます。

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デジタルマーケター 藤沢 奈緒
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