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ジャンボ尾崎兄弟とは?3兄弟の名前・勝利数と2025年の死去、2026年お別れの会を徹底解説

黒田 悠也 黒田 悠也 • 更新: • 公開: • 読了約 16 分
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「ジャンボ尾崎兄弟」とは、日本男子プロゴルフ界で一時代を築いた尾崎3兄弟、長兄の尾崎将司さん、次弟の尾崎健夫さん、三弟の尾崎直道さんを指します。「ジャンボ」「ジェット」「ジョー」の愛称で親しまれた3人は、それぞれ異なる個性と実績を持ちながら、ゴルフ界に大きな足跡を残しました。

2025年12月23日、長兄の尾崎将司さんが78歳でS状結腸がんのため亡くなり、2026年3月16日には東京都内でお別れの会が開かれました。そこで弟たちが語った、亡くなる直前の兄との会話や故郷・徳島への思いは、圧倒的な記録だけでは伝わらない「尾崎3兄弟」の絆を浮かび上がらせています。3人の本名や生年月日、愛称の由来、通算勝利数、そして2026年現在の動向を整理します。

【ジャンボ尾崎兄弟とは?】長兄・尾崎将司、健夫、直道の関係

ジャンボ尾崎兄弟

尾崎3兄弟は、長兄の尾崎将司さん、次弟の尾崎健夫さん、三弟の尾崎直道さんからなるプロゴルファー一家です。3人とも徳島県出身で、兄の活躍をきっかけに弟たちもゴルフの世界へ進みました。

3人の関係を理解するうえで重要なのは、単に同じ競技で活躍した兄弟というだけではない点です。長兄の将司さんは、プロ野球選手からプロゴルファーへ転身して圧倒的な成績を残し、弟たちにゴルフを教えた存在でした。健夫さんと直道さんも、それぞれ自分の実力でツアー優勝を積み重ねています。

日本ゴルフツアー機構が2025年12月の訃報を受けて紹介した記録によると、将司さんはツアー94勝、健夫さんは15勝、直道さんは32勝。3人の勝利数を合計すると141勝に達します。3兄弟全員が国内男子ツアーでこれほどの実績を残したことは、ゴルフ界でも際立った記録です。

ただし、3人を「同じタイプの選手」と捉えると、それぞれの魅力を見落としてしまいます。将司さんは飛距離と勝負強さで時代を牽引し、健夫さんは豪快なショットを持ち味とし、直道さんは日米のツアーで戦いながら粘り強いプレーを磨きました。兄弟でありながら、選手としての個性は明確に異なっていたのです。

【尾崎3兄弟のプロフィール比較】生年月日・年齢・通算勝利数

2026年10月27日時点の3兄弟のプロフィールを整理します。将司さんは2025年に78歳で亡くなりましたが、健夫さんは72歳、直道さんは70歳です。なお、ここで比較する勝利数は、JGTOが掲載するツアー勝利数で統一しています。

項目 長兄・尾崎将司 次弟・尾崎健夫 三弟・尾崎直道
生年月日 1947年1月24日 1954年1月9日 1956年5月18日
2026年の年齢 78歳で死去 72歳 70歳
愛称 ジャンボ ジェット ジョー
本名・登録名 本名は尾崎正司、登録名は尾崎将司 尾崎健夫 尾崎直道
ツアー勝利数 94勝 15勝 32勝
主な実績 賞金王12回、国内男子ツアー最多の94勝 ツアー15勝 賞金王2回、永久シード選手
選手としての特徴 圧倒的な飛距離と勝負強さ 豪快なショットとパワー 粘り強いプレーと日米での経験

出典は日本ゴルフツアー機構の選手プロフィール・通算成績、日本ゴルフ協会の公表資料などです。年齢は2026年10月27日時点で計算しています。

ここで注意したいのが、尾崎将司さんの「94勝」と「113勝」の違いです。94勝は1973年以降のツアー勝利数で、113勝は海外での優勝を含むプロ通算勝利数です。日本ゴルフ協会の顕彰資料では、国内112勝、海外1勝の計113勝と整理されています。数字が異なるのは集計対象が違うためで、記録の矛盾ではありません。

また、3兄弟のツアー勝利数を比較すると、将司さんの94勝が突出している一方、直道さんも32勝を挙げています。健夫さんの15勝を含め、弟2人も長兄の名声だけに支えられた存在ではなく、独自の競技実績を築いたプロゴルファーでした。

【ジャンボ・ジェット・ジョー】3人の愛称の由来とは?

尾崎3兄弟を語る際に欠かせないのが、「ジャンボ」「ジェット」「ジョー」という3つの愛称です。いずれも選手の個性や当時のゴルフ文化と結びつき、兄弟を象徴する呼び名として定着しました。

長兄・尾崎将司の「ジャンボ」

「ジャンボ」の由来について、スポーツニッポンの報道では、1970年5月に習志野で行われた関東プロの競技会で将司さんが優勝した際、ゴルフ担当記者の樋口恭氏が紙面で「ジャンボ・プロ誕生」と表現したことがきっかけとされています。

当時は大型旅客機のジャンボジェット機が注目されていた時代です。身長181センチ、体重90キロという恵まれた体格と、豪快なドライバーショットを重ね合わせた呼び名でした。やがて「ジャンボ尾崎」は、本人の名前と同じくらい広く知られるブランドになりました。

次弟・尾崎健夫の「ジェット」

健夫さんの愛称「ジェット」も、兄の呼び名と連動しています。ゴルフダイジェスト・オンラインの連載「ゴルフ昔ばなし」では、健夫さんの力強いショットや飛距離にちなんだ愛称として紹介されています。

「ジャンボ」に続く、スピード感とパワーをイメージさせる名前です。健夫さんは兄と同じく豪快なゴルフを持ち味とし、ツアー15勝を記録しました。

三弟・尾崎直道の「ジョー」

直道さんの「ジョー」は、兄2人の愛称に合わせて頭文字を「J」でそろえた呼び名です。ゴルフダイジェスト・オンラインの解説によると、当時契約していたブリヂストンがファンからニックネームを募集したことも、その由来として伝えられています。

さらに直道さんには、粘り強いプレースタイルにちなむ「マムシのジョー」という異名もありました。愛称は単なる呼び分けにとどまらず、3人の個性をそれぞれ際立たせる役割を果たしていたのです。

【3兄弟のゴルフ経歴と成績】なぜ尾崎将司は別格だったのか

尾崎将司さんは、もともとゴルフ一筋の選手ではありませんでした。徳島県立海南高校の野球部でエースとして活躍し、1964年春の選抜高校野球大会で優勝。翌1965年にプロ野球の西鉄ライオンズへ入団しました。

しかし、プロ野球選手としての活動は長く続かず、実働3年で退団。その後、ゴルフに転向し、1970年にプロ入りしました。1971年の日本プロ選手権で初優勝を飾ると、同年に短期間で5勝を挙げ、早くもトップ選手の仲間入りを果たします。

1973年には賞金ランキング制度の初代賞金王に輝き、その後も優勝を重ねました。賞金王は計12回で、1994年から1998年まで5年連続で獲得しています。国内ツアーで94勝を挙げ、プロ通算勝利数は113勝。2002年の全日空オープンでは55歳で優勝し、当時のツアー制度施行後の最年長優勝記録を打ち立てました。

海外メジャーでも存在感を示し、1973年のマスターズでは日本選手として初めてトップ10入りとなる8位を記録。1989年の全米オープンでも6位に入り、世界の舞台で日本人選手の可能性を示しました。

一方、健夫さんはツアー15勝を積み重ね、兄と同じく長距離ショットを武器に活躍しました。直道さんは1991年と1999年に賞金王を獲得し、国内ツアー32勝を記録。米国ツアーにも挑戦し、シニア転向後も国内外で競技を続けました。

3人の実績を象徴する出来事が、1999年の日本プロゴルフ選手権です。この大会では直道さんが優勝し、2位に将司さん、3位に健夫さんが入り、尾崎3兄弟が上位3位を独占しました。兄弟が同じ競技で競い合い、全員が表彰台に立ったこの結果は、3人それぞれの実力を示す象徴的な記録です。

将司さんが特別だった理由は、単純な優勝回数だけではありません。野球からゴルフへ転身し、1970年代から2000年代まで長期間にわたって優勝を重ね、後進の育成にも取り組みました。競技者として結果を残すだけでなく、日本男子ゴルフの人気と存在感を押し上げたことも、その功績を語るうえで欠かせません。

【2025年の死去と2026年のお別れの会】何が語られたのか

尾崎将司さんは2025年12月23日、S状結腸がんのため78歳で亡くなりました。日本ゴルフ協会は翌24日に訃報を公表し、日本ゴルフツアー機構や日本プロゴルフ協会など、ゴルフ界から追悼の声が相次ぎました。

2026年3月16日には、東京都千代田区の帝国ホテル東京で「尾崎将司氏 お別れの会」が開催されました。日本ゴルフ協会の発表によると、ゴルフ関係者ら約1000人が式典に参列し、一般献花にも約1000人が訪れ、合計約2000人が故人をしのびました。

祭壇は富士山とゴルフ場をモチーフに、10種類、約5000本の花で飾られました。2002年のANAオープンで撮影された写真や、将司さんが獲得した優勝杯、愛用のクラブ、キャディバッグなども展示されました。

式典では、生涯のライバルとして数々の名勝負を演じた青木功さんが弔辞を読みました。日本ゴルフツアー機構が公開した弔辞では、青木さんが将司さんを「生涯のライバル」と位置づけ、共に競い合った年月への思いを語っています。海外からもジャック・ニクラウスさんやトム・ワトソンさんらが惜別の言葉を寄せました。

この会で注目されたのは、弟の健夫さんと直道さんが明かした、亡くなる直前の兄の姿です。日本ゴルフツアー機構の会後の報道によると、3兄弟が久しぶりにじっくり話をしたのは、将司さんが亡くなる約1週間前でした。

健夫さんは、そのときの兄が普段以上によく話していたことを振り返りました。加えて、将司さんが故郷の徳島県宍喰町、現在の海陽町に自分の墓を用意していたことも明かしています。

直道さんも、兄がどれほど故郷を大切にしていたかを語りました。プロゴルファーとして全国を舞台に活躍した将司さんでしたが、晩年まで心の中にあったのは、少年時代を過ごした徳島だったのです。

お別れの会は、偉大な記録を振り返る場であると同時に、家族にとっての兄・正司さんの姿を伝える機会にもなりました。

【尾崎兄弟の絆】本名「正司」に戻った兄と弟たちの証言

3兄弟の関係を考えるうえで、とりわけ印象的なのが、将司さんの本名にまつわるエピソードです。

尾崎将司さんの本名は「尾崎正司」です。プロゴルファーとして活動する際には「尾崎将司」という登録名を使用していました。2026年3月のお別れの会で健夫さんが明かしたところによると、亡くなる前、兄弟で話していた際に、将司さんはゴルフの世界で使ってきた名前と、幼い頃からの本名について語ったといいます。

健夫さんの証言では、兄はゴルフをするときには「将司」を名乗ってきた一方、晩年には「正司」に戻ったという趣旨の話をしていました。勝負の世界で戦うための名前と、家族や故郷に結びついた名前。その両方を持っていたことが、兄の人生を象徴するエピソードとして伝えられました。

また、直道さんは、兄について「プロゴルファージャンボ尾崎」という偉大な選手としてだけでなく、徳島の兄として思い出されると語っています。兄が野球からゴルフへ進み、弟にゴルフを教えたことが、自身のプロ人生の出発点だったという感謝も示しました。

健夫さんも、兄と同じ道を歩んだ約70年間を振り返り、兄がいなくなるこれからの寂しさを口にしました。最後に弟たちが伝えた「兄貴ありがとう!」という言葉には、競技上の尊敬だけではなく、人生を通じて受けた恩への思いが込められていました。

兄弟仲を示すエピソードは、こうした晩年の証言だけではありません。直道さんが1991年に初めて賞金王を獲得した際、父親を大会直前に亡くしながら競技に臨んだことも知られています。日本ゴルフツアー機構の記録によれば、その際には兄2人が葬儀を任され、直道さんは試合に集中しました。

これは、3人が家族として支え合う一方、それぞれがプロとして自分の責任を果たしていたことを示す出来事です。兄弟だから常に同じ道を歩いたのではなく、互いの競技人生を尊重しながら、それぞれの役割を担ってきたのです。

2026年現在、健夫さんは72歳、直道さんは70歳です。直道さんはシニアツアーにも出場を続けており、2026年の公開成績では、10月1日から3日に開催されたコマツオープンに出場して74位となっています。健夫さんについても、ツアー15勝という実績が公式プロフィールに記録されています。将司さんが亡くなった後も、弟たちの競技人生と尾崎家がゴルフ界に残した功績は続いています。

【ジャンボ尾崎兄弟】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:ジャンボ尾崎兄弟の名前は何ですか?
A1:長兄が尾崎将司さん、次弟が尾崎健夫さん、三弟が尾崎直道さんです。それぞれ「ジャンボ」「ジェット」「ジョー」の愛称で知られています。

Q2:尾崎将司さんの本名は正司ですか?
A2:はい。本名は尾崎正司です。プロゴルファーとしては「尾崎将司」の登録名で活動していました。2026年3月のお別れの会では、弟の健夫さんが、晩年に兄が本名の「正司」に戻ったと話していたことを明かしました。

Q3:尾崎3兄弟の通算勝利数は合計何勝ですか?
A3:JGTOが公表するツアー勝利数で合計すると141勝です。内訳は将司さん94勝、健夫さん15勝、直道さん32勝です。なお、将司さんのプロ通算勝利数は海外での優勝を含む113勝で、ツアー勝利数とは集計範囲が異なります。

Q4:ジャンボ尾崎さんはいつ亡くなり、お別れの会はいつ開かれましたか?
A4:将司さんは2025年12月23日にS状結腸がんのため78歳で亡くなりました。お別れの会は2026年3月16日に帝国ホテル東京で開催され、関係者と一般献花者を合わせて約2000人が参列しました。

Q5:尾崎健夫さんと尾崎直道さんは2026年現在どうしていますか?
A5:健夫さんは72歳、直道さんは70歳です。直道さんは2026年もシニアツアーに出場しており、10月のコマツオープンにも参戦しました。健夫さんはツアー15勝の実績を持ち、3兄弟の功績を伝える存在として知られています。

ジャンボ尾崎兄弟は、長兄の尾崎将司さん、次弟の尾崎健夫さん、三弟の尾崎直道さんによる、ゴルフ界を代表する兄弟です。3人のツアー勝利数は合計141勝。将司さんは国内ツアー最多の94勝と賞金王12回を記録し、健夫さんと直道さんも、それぞれ15勝、32勝という実績を残しました。

2025年12月の将司さんの死去と、2026年3月のお別れの会によって改めて注目されたのは、記録の大きさだけではありません。弟たちの証言から伝わったのは、兄がゴルフを教えてくれたこと、家族と過ごした時間、そして故郷・徳島への深い思いでした。

「ジャンボ」「ジェット」「ジョー」という愛称は、3人の個性と功績を今に伝えています。将司さんが築いた記録を正しく理解するには、プロ通算勝利数とツアー勝利数を区別し、健夫さんと直道さんの実績も併せて見ることが大切です。そして3兄弟の物語を知るうえでは、競技成績だけでなく、亡くなる直前に交わされた会話や弟たちの感謝の言葉にも目を向けたいところです。

2026年以降も、尾崎3兄弟の名前は日本ゴルフ界の歴史を語るうえで欠かせません。圧倒的な記録と家族の絆。その両面から振り返ることで、ジャンボ尾崎という選手が残したものの大きさが、より鮮明に見えてきます。

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黒田 悠也
デジタルマーケター 黒田 悠也
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